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黒部峡谷 リンク集

黒部峡谷(くろべきょうこく)は、富山県 黒部市、黒部川中流〜上流にある峡谷(V字谷)である。立山連峰と後立山連峰に分断する極めて大規模な峡谷で、規模、迫力から鑑みて、名実共に日本一ともいえるものである。国の特別天然記念物(天然保護区域)及び特別名勝指定。中部山岳国立公園に含まれる。日本の秘境100選のひとつ。

現在では、黒部湖を境に、上廊下(かみのろうか)、下廊下(しものろうか)に分けられる。但し、黒部ダムが建設される以前、後述の冠松次郎の時代には、現在の黒部湖の湖底に当たる流路には、中廊下(なかのろうか)も見られた。さらに、薬師沢小屋から源頭部までは奥の廊下(おくのろうか)と呼ばれる。廊下とは絶壁に挟まれた深い谷を意味する。一帯は古くから人の踏み入れられぬ秘境として知られており、江戸時代でも加賀藩が谷への立ち入りを禁止し、唯一、黒部奥山廻役と呼ばれた役人のみが立ち入りを許された。明治時代になると一般に開放され、多くの登山家たちが黒部を目指した。特に冠松次郎は精力的に峡谷を探検したことで、「黒部の父」と呼ばれている。 戦前からアルミ精錬のため、電源開発が行われてきた(→黒部川及び各種ダムを参照)。中でも黒四ダムは国内最大級のダムとして観光地にもなっている。その時の工事用通路は後に一般に開放され、立山黒部アルペンルートと名付けられた。その後、交通アクセスが格段に改善したことで、黒部ダム一帯は年間1000万人以上が訪れる観光地に発展した。また、宇奈月温泉を始め、鐘釣温泉、欅平温泉など温泉地が点在しているため、この温泉地をつなぐ黒部峡谷鉄道が観光に一役買っている。 もっとも、これらの観光地は峡谷全体から考えるとごく一部であり、現在も人を寄せ付けない断崖絶壁の世界が一面に広がる。上流の十字峡、S字峡のあたりは絶景で知られるが、辿り着くのが極めて困難である。

上ノ廊下、黒部上の廊下と表記されることもある。奥黒部ヒュッテより上流、立石奇岩までの間の峡谷。登山道はない。 下の黒ビンカ、上の黒ビンカなどの難所がある。 上廊下は沢登り愛好家の憧れの的であるが、その遡行は多くの渡渉と泳ぎ、高度なヘツリを伴う困難なものであり、多くの経験と果敢に水につかることを恐れない強い意志が必要となる。特に下流域ほど水量が多く強い流れに負けない渡渉力を必要とする。また支流や源頭部には雪渓が残っているため水温が低く渡渉や泳ぎに手間取るようでは体が冷え切り意志をくじくとともに低体温症の危険がある。また下流部では特に増水しなくともバランスを崩せば容易に流されるような水流であり、数年毎に死者が出ている。技術的には登攀の要素はほとんどなく、ロープはもっぱら水平方向すなわち渡渉のために使用される。 高度な渡渉の技術ならびに泳ぎによるゴルジュ、淵の突破は滝の登攀を主体とする一般の沢登りでは経験することは少ない。その訓練にはxx本流と呼ばれるような水量の多い沢(というより川)の登攀経験が必要であるが、上廊下の規模はそれらの概念を超える圧倒的な水量で遡行者を威嚇する。そのため登攀系の沢の経験だけで入渓するのは大きなリスクを伴うことを心すべきである。 下山は薬師沢小屋で終了するか、奥の廊下(おくのろうか)と呼ばれる源頭部まで継続するかで大きく異なる。薬師沢小屋から太郎平小屋経由で折立に下山が一般的である。この場合全行程は2泊3日も可能となる。 源頭部まで遡行した場合、一般に沢中に2泊が必要となる。入渓点の奥黒部ヒュッテまで黒部ダムから1日の行程なので最低3泊4日は必須である。源頭部からは三俣蓮華岳もしくは鷲羽岳に達するが、湯俣温泉に直接向かう「伊藤新道」はほとんど廃道状態で随所で崩壊している。したがってほとんど湯俣川を下ることになるがその渡渉もしだいに水量が増えて困難を増していく。途中に崩壊した巨岩が積み重なった極めて危険な崩壊地を通過しなければならないのでアルパイン的チャレンジ性を持たないパーティにはお勧めできないルートである。遠回りだが真砂岳から「竹村新道」を使う方が無難である。なお湯俣温泉から高瀬ダムまでは交通の便はなく3時間半から4時間の歩きとなるので黒部源頭部から高瀬渓谷方面に一日で下山しようとすると行動時間は12時間近くなることを覚悟しなければならない。 黒部源頭部からの下山路としては、一般道を利用して、三俣蓮華岳・双六小屋・鏡平山荘経由で新穂高温泉に下山することも可能である。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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